わたしが舞台を好きなわけ

観劇した舞台の感想や自分なりの批評を書き綴るブログです

全てはここから始まった ~宝塚宙組「神々の土地~ロマノフたちの黄昏~」

記念すべき最初の投稿は、どうしてもこの作品から始めたかった。

 

2017年9月、偶然見に行くことになった宝塚宙組の公演「神々の土地」。

尊敬すべき大学の先輩・上田久美子先生が手掛けたこの公演は、わたしに、舞台の素晴らしさのすべてを教えてくれた大切な大切な作品です。

 

「神々の土地」という物語は、わたしにとって完璧な舞台でした。

 

 観劇してからしばらく他のことが考えられず、どうしてももう一度見たい、とチケットを探し回って3回足を運びました。ひとつの舞台を一回以上見たことも、ひとつの芸術作品が何ヵ月も頭を離れなかったことも、その頃の私には、生まれてはじめての経験でした。

そして真夏の観劇だったにも関わらず、私はその時、ロシアの匂い…荒涼たる大地を吹き渡る風の冷たさを、はっきりと劇場で感じ取ることが出来たのです。こんな経験は生まれてはじめてのことでした。

 

 

【あらすじ】(公式HPより引用)

1916年、ロシア革命前夜。帝都ペトログラードで囁かれる怪しげな噂。皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラが、ラスプーチンという怪僧に操られて悪政を敷いている——。折からの大戦で困窮した民衆はロマノフ王朝への不満を募らせ、革命の気運はかつてないほどに高まっていた。

皇族で有能な軍人でもあるドミトリー・パブロヴィチ・ロマノフは、皇帝の身辺を護るためペトログラードへの転任を命じられる。王朝を救う道を模索する彼にフェリックス・ユスポフ公爵がラスプーチン暗殺を持ちかける。時を同じくして、皇帝から皇女オリガとの結婚を勧められるドミトリー。しかしその心を、ある女性の面影がよぎって…

凍てつく嵐のような革命のうねりの中に、失われゆく華やかな冬宮。一つの時代の終わりに命燃やした、魂たちの永遠の思い出。

 (引用終わり)

 

この「心をよぎるある女性の面影」こそ、本作の核でありヒロイン、セルゲイ大公妃イリナです。

主人公ドミトリーとは血の繋がらない伯母と甥。互いに惹かれ合いながら、ふたりは決して、ただの一度も、「愛している」とは言いません。それでも、作品を見れば、二人の心の在処はおのずと分かるでしょう。彼らの間に流れる、余人には入り込めない空気が、劇場ではひしひしと感じられました。

 

 私は全てを語らない物語が好きです。

 心に秘めた感情を、ストレートにせりふには載せない。

 観客はその思いを、目線から、声音から、しぐさや言葉の間合いから…とにかくあらゆる部分から汲み取らねばならない。いまはわかりやすいエンタメ作品ばかりが求められますが、わたしは婉曲的な表現に彩られ、受け手の想像の余白を残した作品こそ、「演劇らしい」と思っています。

 

 神々の土地は、観客に、たくさんの想像を掻き立てさせてくれる作品です。

 例えば作中二度も登場する、ロシアの雪原のセット。至極シンプルな舞台装置でありながら、私の目には、遥か遠く、地平線まで広がる雪原がありありと見えました。ロシアの大地の広漠さ、つめたさ、あたたかさの全てが、あのセットには込められていました。

 それからクライマックスのひとつ、世界史でお馴染みのラスプーチン暗殺のシーン。主人公ドミトリーは、客席に背を向けたままピストルを撃ちます。役者は、張りつめたその一瞬の雰囲気を背中で表現し、観客もまたそれを想像で補って受け止めねばなりません。

  そして何より多くを語らないヒロイン。

 自律し、感情を抑えることを覚えた、気高い大人の女性。そんなヒロインの存在が、この作品を素晴らしいものにしていたと感じます。

「もう汽車の時間ね。ここでお別れしましょう」

 物語の最後、心を通わす相手・ドミトリーに、そう言って自ら別れを告げるイリナ。第一次大戦が泥沼化し、革命の嵐が迫り来る中、もう二度と会えないことを予感しながら、それでも相手を送り出そうとするイリナ。この一言の台詞に、彼女の魅力の全てが収斂しているように思えます。相手の覚悟を知り、自ら相手の背を押して離れていく大人の女性の姿は、美しいという一言で片づけてしまうには、余りにも切ないものがありました。

 そして革命の火の手が上がる中、大公妃イリナは亡命を拒んでロシアに残る道を選びます。自分の身に待ち受ける死の運命を予期しながら、多くを語らず、静かにその時を待つイリナ。皇族の一員として、ロシア人民に生かされてきた自分は、ロシアに対して責任がある。物語の中で、彼女は毅然として言います。その高潔な態度は勿論美しい。でも、ほんとうは、彼女が逃げなかったほんとうの理由は、ロシアが愛する男の国だったからではないでしょうか。

 祖国ドイツから、言葉も分からないまま嫁いできたイリナは、ドミトリーに出会ってはじめてロシア人になった。だから祖国ドイツに帰ることは、ロシア人であることを棄てること。彼女はそう思ったのではないでしょうか。亡命を拒み、ロシアの大地にとどまるという選択は、彼女らしい愛の貫き方と言えるでしょう。

 イリナの美しさ。イリナの神々しさ。

 それはどこから生まれてくるものでしょうか。思うに、多くを語らぬその生き様こそがイリナに、神々しいまでの美しさを与えているような気がします。ただの一度も「好き」「愛している」とは言わない。ドミトリーを引きとめもしない。だからこそ、別れが迫った二人のシーンには、ひときわ心揺さぶられるのです。

「あなたがいたから、私はこの国を好きになった」

 彼女がドミトリーと最後に会った時、叫ぶように言ったこの台詞が忘れられません。決して思いを口に出さなかった彼女の、最初で最後の告白。

 かつては、自分の心を押さえ、ドミトリーとダンスを踊ることさえためらったイリナが、雪を掛け合ってたわむれ、熱く抱擁する。もう二度と、生きてこの世で会うことはないだろう。そんな運命を悟った時、はじめて彼女は少しだけ、自分の秘めた思いに素直になれたのでしょう。

 

 何年経っても、私はこの作品が好き。

 私にとって、すべての始まりの作品。だからこうして最初に語らせて頂きました。