わたしが舞台を好きなわけ

観劇した舞台の感想や自分なりの批評を書き綴るブログです

魂が交わるとき ~東宝「マリーアントワネット」~

今年の2月。

東急シアターオーブで、2年ぶりに東宝「マリーアントワネット」の再演を観てきました。

名曲ぞろいのミュージカルナンバーと豪華なキャスト、万人に分かりやすく感情移入しやすいストーリー。改めて、商業エンタメとして完成度の高い作品という印象を受けました。

 

・マルグリット・アルノーという装置

ミュージカル「マリーアントワネット」にはふたりの主人公がいます。

1人は言うまでもなくタイトルロールのマリーアントワネット。

そしてもう1人が奇しくも王妃と同じM.Aというイニシャルを持つ、貧民の娘マルグリット・アルノー。このミュージカルの原作者、遠藤周作が創作した人物です。

本来ならば決して出会うことのない、対極の境遇に位置する二人の人生が、ほんのひととき、革命を通じて交錯する。そこに、この作品の真髄があります。

もっと言えば、この作品の真の主人公はアントワネットではなくマルグリットでしょう。

貧富の差に憤り、王侯貴族を憎み、アントワネットの破滅を願って来たマルグリット。

しかし幽閉されたタンプル塔で、或いはコンシュルジュリの牢獄で彼女が見たアントワネットは、夫と友人を殺され、子供達と引き離され、全てを奪われて打ちひしがれる一人の女性でした。

王妃を憎む気持ちに迷いが生じるマルグリット。

そして最後の法廷で、彼女は自らの意思でアントワネットを庇おうとするのです。

このようなマルグリットの心情の変化こそが、ミュージカル「マリーアントワネット」の根幹をなすもの。

観客はマルグリットを通して物語を見る。マルグリットは観客の視点を代弁する存在でもあります。

マルグリット・アルノーという役の魅力は、彼女が曇りの無い眼を持っていることだと思います。マルグリットは貧乏であっても聡明です。

何が正しいのか、何が間違っているのかを自分の頭で考えられる女性です。

フランス革命は途中から、ギロチンの休む暇もないほどの粛清の嵐に覆われました。その雰囲気に飲まれ、追随してしまうのが大衆心理でしょう。

しかしマルグリットははじめ王妃や特権階級を憎んでいながら、生身の人間としての王妃に接して以降、その考えを変えた。

人の意見に流されず、ぶれない芯を持っている。

そんなマルグリット像が伝わってきます。

観劇はソニンさんの回でしたが、改めて、力強い歌声と魂を削るような演技に魅せられて、マルグリットが好きになりました。

 

 

・魂が交わる時。

ラストシーン。

処刑台へと向かう王妃が躓いて転ぶ。

マルグリットは衆人環視の中、彼女の傍により、手を差し伸べます。

差し出された手を取って、「ありがとう、マルグリット」とちいさく呟くアントワネット。

そして断頭台へと向かっていく王妃に、ひざまずき、最後の礼をするマルグリット…。

あの場面は、ミュージカル「マリーアントワネット」の中で一番の名シーンと言えるでしょう。

王侯貴族を憎んで生きて来たマルグリットが、最後の最後に、自分の意思で、死にゆく王妃にお辞儀をする。

その姿には、ひとりの人間として、またフランス王妃としてのアントワネットに対する彼女の最大限の敬意が感じられて。毅然とした意志に満ち溢れた神々しささえありました。

思うにあの瞬間、正反対の境遇を生きて来たふたりの魂は、心は、はっきりと交わり合ったのでしょう。

全ての音がやみ、劇場に流れた沈黙。

その中でひととき、眼差しを交わし合ったふたりの主人公。

あの一瞬のお芝居が、私はたまらなく好きです。

 

ミュージカル「マリーアントワネット」はまた何度でも再演して欲しい作品です。